2011年5月25日水曜日

初夏の東御苑にて

さわやかに晴れた日 東御苑の散歩を楽しんで来ました

新緑まばゆい 諏訪の茶屋
二の丸池の ヒメコウホネにとまる しおからとんぼ

今を盛りと咲くヤマボウシ 
バラ園でかろうじて咲き残る?バラ 
いつも目を引く百人番所

2011年5月15日日曜日

懐古園から上田城、北国街道へ


学生時代 初めての夏休みに小諸郊外の青木村で合宿
翌夏もここで合宿。半世紀近く経って、当時の仲間と共に懐かしい訪問。


 





曹洞宗安楽寺にて

国宝 八角三重塔


天台宗金剛山照明院常楽寺にて

上田城
1583年、真田幸村の父、昌幸により築城。
二度にわたり 徳川の大軍を退けたことで知られる平城。現在は、本丸、二の丸、堀跡が上田城跡公園として残されている。


ケヤキ並木

平和の鐘
 平和の鐘建設の由来

 時の鐘の歴史は延宝五年(1677年)原町問屋日記の文献により明らかにされているが、或いはそれ以前からか、時を知らせる鐘として上田城下の住民に親しまれて、日常生活に欠かす事ができなかったと伝えられる。

以来二百数十年の長い間、正しい時を知らせ続けてきたが、時代の移り変わりの中で大正十四年、この知らせはサイレンに代わった。また、鐘の位置も幾度か変わり、昭和九年に上田城跡のこの場に落ち着いた。

 昭和十八年大東亜戦争が次第に悪化するにしたがい、遂に軍に徴発され、時代と共に鳴り続けた。「時の鐘」は姿を消して、ただ、鐘楼のみが淋しく歴史を物語り風雪に耐えていた。この歴史的遺産をなんとか復元しようと市民の間に何度か計画されたが、その実現には至らなかった。しかし、このたび昭和四十七年上田市自治会連合会にこの復元運動が起こり、広く全市民の協賛によって、その名も「平和の鐘」と改め三十年振りに昔の姿に再現された。この鐘の鳴り響くかぎり、再び悲惨な事の起こらないよう十万市民の平和の願いがこの鐘に込められている。

 昭和四十八年吉日
 上田市

上田藩主居館跡

北国街道にて
上紺屋町
柳町

2011年5月7日土曜日

佐賀 大興善寺