2013年5月24日金曜日

堺まち歩き 三好一族ゆかりの史跡


三好一族応援団



南宗寺
弘治3年(1557年)三好長慶が父元長の菩提を弔うために、大林宗套(だいりんそうとう)を迎え開山とした臨済宗大徳寺派の寺院です。慶長20年(1615年)の大坂夏の陣による焼失後、寺地を現在の場所に移し、沢庵宗彭(たくあんそうほう)らにより再建が行われました。境内には国指定名勝の枯山水の庭、国指定重要文化財の仏殿・山門・唐門、千家一門の供養塔、利休ごのみの茶室実相庵(じっそうあん)などがあります。



坐雲亭


徳川秀忠、家光が 御成と記録されているそうです
ここが家康の終焉地という伝説を もっともらしくする話





国指定名勝の石庭 枯山水の庭






利休好みの茶室 実相庵





利休が寄進した 灯籠





利休が寄進した手水鉢


沢庵宗彭(たくあんそうほう)   特別公開





茶筅供養も 堺らしい  特別公開






ふすま絵には 四国の山並みが描かれている







仏殿(大雄宝殿) 重要文化財
天井に八方睨みの龍が描かれている





狩野信政筆による 八方睨みの龍






開山堂下から発見された無銘碑   家康とも彫り込まれている
「南宗寺史」には「家康が大阪の陣で茶臼山の激戦に敗れ駕籠で逃れる途中、後藤又兵衛の槍に突かれた。辛くも堺まで落ち延びたが、駕籠を開けてみるとすでに事切れていて、遺骸を南宗寺の開山堂下に隠し、後に改葬した」との伝説が紹介されている。





鐘楼







唐門



屋根瓦には みつば葵のご紋  徳川家から特別許可をもらっていたという







唐門の奥に 徳川家康の墓が見える







夏のように暑い日差し







ここの ニッキ菓子は おいしくて感動しました






堺事件 土佐藩士11烈士の墓

妙國寺で切腹させられた土佐藩士11人の墓は、勅願時の妙國寺ではなく 北隣の宝珠院境内に葬られ、フランス兵11人の墓は神戸外人墓地に有るという










大寺さん 開口神社  ここに長慶の父親 元長戦死の碑が有ります





堺県庁の記念碑






西本願寺 堺別院






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